若い者に案内されて、遊女の部屋か廻し部屋に行く。用意された寝床につくと、禿が煙草盆や茶を持ってきて、枕元に置いた。若い者が寝床のまわりを屛風で囲う。 ここで、引手茶屋の女将や若い者などは翌朝の迎えの刻限をたしかめたあと、ようやく引き取る。
江戸時代の遊廓・吉原は「1日で千両の金が落ちる」と言われるほど、多くの男性がつめかけた。遊女にとっては非常に過酷な労働環境だったため、中には「ふられる客」もいたという。作家・永井義男さんの著書『図説 吉原事典』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。
しかし、「吉原の花魁は三回目で肌を許す」には史料の裏付けはなく、たんなる俗説にすぎない。遊女伝説と言ってもよかろう。 宝暦以前の全盛の 太夫 たゆう に、 権柄 けんぺい ...